「あかり」の観測成果

「あかり」が捉えた星間有機物の進化

赤外線天文衛星「あかり」のデータから、我々の銀河系内に広く豊富に分布し、生命の起原物質の一つとしても注目されている、多環芳香族炭化水素(PAH)と呼ばれる有機物分子について、その大きさを推定する手がかりや、周囲の環境に応じて「変成」を受け、構造が変わっていく様子が明らかになりました。東京大学大学院理学系研究科博士課程に在学中の森(伊藤)珠実さん(日本学術振興会特別研究員)を中心とする研究グループによって行われたこの研究の成果は、アメリカの天体物理学の専門誌「アストロフィジカル・ジャーナル」の2014年3月20日号に掲載されました。


ほとんど真空の宇宙にも、さまざまな種類の有機物が存在します。その中でも、特に、多環芳香族炭化水素(polycyclic aromatic hydrocarbon: PAH)と呼ばれる物質は、隕石や彗星、そして星間空間や遠方の銀河といった多種多様な環境に豊富に存在し、その豊富さと、初期地球の過酷な環境に耐えうる強靭さから、われわれ生命のもととなった物質の候補の一つとして注目されています。しかしながら、PAHが星間空間のさまざまな環境に対応してどのようにその性質を変えていくのかについては、未だ十分な理解が得られていません。

PAHは、炭素や水素原子が数10~数100個集まって出来ていて、その大きさや構造によりさまざまな種類が存在します(see 図 1)。星間空間に存在するPAHは星の光で暖められ、その構造や物理状態に応じて、いくつかの特定の赤外線波長で輝くことが知られています。この「放射バンド」は、主に波長2~15マイクロメートルの領域にありますが、その中でも本研究で注目した波長2.5~5.4マイクロメートルの範囲には、特に星間空間に存在するPAHの種類や、性質を探る上で重要な手がかりとなりうる放射バンドが存在します。大気による吸収の影響が強く出るこの波長域の完全なスペクトルを地上から取得することはたいへん難しく、天文観測衛星による観測が強く求められます。しかしながら、その重要性にもかかわらず、先駆的存在であった赤外線宇宙天文台(ISO[1])の運用終了から「あかり」が登場するまでのおよそ10年間、衛星による観測が行われることはありませんでした。

Fig.1

図 1: PAHの例。炭素原子(黒丸)が六角形状にいくつか繋がった構造をしている。白丸は水素原子を表している。構成する原子の数によりさまざまな種類がある。(東京大学ハモンズ氏より提供)

森さんらの研究グループは、赤外線天文衛星「あかり」に搭載された近・中間赤外線カメラ(IRC)によって、我々の銀河系内に存在するHII領域[2] と呼ばれる、特に活発に星形成が行われている天体36個を観測し、そのスペクトルを通じてPAHの性質を系統的に調べました。「あかり」を用いると、2.5~5.4マイクロメートルの近赤外線領域のスペクトルを、ISOより1桁以上高感度で観測することができます。HII領域の近赤外線スペクトルとしては、世界最大級、最高感度のデータです。

このデータから、研究グループは5.25マイクロメートルを中心に現れるPAHの炭素-水素結合によるかすかな放射バンドの存在を明らかにしました(図 2)。このバンドはこれまでその存在は示唆されこそすれ、十分な観測的研究は行われておらず、本研究の大規模なサンプルによってその存在が初めて確実なものになりました。このバンドは星間空間に存在するPAHの大きさを測定するための指標として有効であると期待されます。

Fig.

図 2: 本観測で得られた典型的なスペクトル(左、中央)と、そのターゲット天体の9マイクロメートルでのイメージ(右、「あかり」中間赤外線全天サーベイデータより)。観測はスリットを用いて、天体の一部を抽出して行われた。右の天体イメージ上に、実際にスペクトルを測定した領域が青のボックスで示されている。同一領域に対して、二種類のスペクトルが得られた(左、中央)。中央に示したスペクトルは、4.4マイクロメートルより長波長側のみ示している。

研究グループは、「本研究により、星間有機物の進化の解明につながる新たな手がかりを明らかにすることができました。これをもとに、次世代赤外線衛星SPICAの観測計画の検討・立案に貢献していきたい。」と意気込んでいます。

また、研究グループは、3.3~3.6マイクロメートルに現われる放射バンド群のスペクトルの形の違いから、PAHが星からの紫外線に照らされて「変成」を受け、構造が変化していく様子を多数のサンプルから捉えることに初めて成功しました。さらに、研究グループは、スペクトルの特徴から示唆される星間空間の物理環境と、「あかり」中間赤外線全天サーベイデータにより得られた赤外線カラー[3] を比較しました。その結果は、これらの領域で有機物を含む星間ダストの組成の変化が起きている可能性を示唆しています。

本研究は、「あかり」が取得したスペクトルデータの有用性とその活用の一例を示すものです。「あかり」は2011年11月に運用を終了しましたが、研究グループは、今後も、「あかり」が収集した膨大なデータをもとに、氷の吸収など他の特徴について、さらなる解析を行う予定です。「あかり」は近赤外線波長帯で、現在でも世界最高レベルの感度のよい分光観測を行った衛星です。今回の成果は、宇宙の物質進化を紐解く星間物理学の分野において、特に有機物や氷といった星間ダストの研究に非常に有用なものとなることが期待されます。

本研究は、東京大学を中心として、名古屋大学、神戸大学の共同研究として行われました。この研究成果は科学研究費補助金のサポートを受けています。


  1. 1995年に欧州宇宙機関(ESA)により打ち上げられ、1998年まで観測を行った赤外線宇宙天文台。高精度、広波長域の分光観測、撮像観測を行った。
  2. 若い大質量星から放射された紫外線が周囲のガスを電離し、明るく輝いている領域のことをさす。天文学などの分野では電離した水素原子のことをHII(えいちつー)と呼ぶことから、このような名称がついた。
  3. 2つの波長での明るさの比をカラーと呼ぶ。物質の量ではなく性質を反映する指標であり、天文学で広く用いられる。

Catalogue data files

http://www.ir.isas.jaxa.jp/AKARI/Archive/Catalogues/IRC_GALHII_spec/

Materials

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